会長・金嶋昭夫が児童養護施設支援のため財団創設へ

令和3年8月


令和3年8月4日の新聞にて掲載されました。以下本文。

養護施設入所者支援へ
財団創設し、卒園者の自立助成
区内複数に寄付準備

「私がすべきことは母国と故郷、そして生まれ育った日本の地域社会に恩返しをすることだ。それは今の私を幼いときから支えてくれた多くの隣人たちにつねに感謝の気持ちを持っていたからだ。」カラオケ747の経営者で篤志家としても知られる民団中央本部の生活相談センター所長の金昭夫さんがこのほど、児童養護施設で暮らす子どもたちへの支援のため寄付を決意したことを熱く語った。

◆母国と同胞への感謝

これまで、故郷の慶尚南道を襲った台風被害への義援金、慶尚南道晋州市にある慶南科学技術大学への「発展基金」、民団社会では2年ごとに開催されてきたオリニジャンボリー引率団長を2010年から4回連続で務め、賛助金も捻出したほか、韓国国体在日同胞選手団長としても、2005年の第86回蔚山大会、2010年の第91回慶南大会と2度務めた。とくに、慶南大会では物心両面で選手たちを支え、在外同胞の総合優勝を奪還した。
その大役を果たしたあと、未来に輝く在日同胞のアスリートたちの育成と発掘のためにと、自ら基金を捻出し「次世代選手育成基金」を在日体育会に設けた。
東京五輪で在日同胞選手として45年ぶりとなる銅メダルを獲得した安昌林選手もこの「育成基金」の恩恵を受けたひとりだ。
東日本大震災では日本での故郷でもある茨城県への義援金、最近では新型コロナウイルスの関係で、医療用マスクの寄贈、医療従事者への寄付など、地域社会のための献金を贈った。
シルバー世代になった今、児童養護施設への支援を決心したのは、今も脳裏に焼き付いている幼少期の辛い思い出があるからだ。

◆拾った1万円札が運命

貧困だった上に、父は仕事をせずに毎日酒を浴びて、時には母を殴るなど、今で言う「DV家庭」だった。そんな夫に耐えられず、金さんが小学校3年の時、母は兄、姉とともに座らせ、水を汲んだどんぶりに青酸カリを入れて、「1人で死んだらお前たちが可愛そう。一緒に死のう」と無理心中しようとした。その時、「生きていれば、いつか良いことがあるよ。死ぬのだけはやめよう」と兄弟で言い聞かせ、母は思いとどまった。そのあと、お使いで醤油を買いに行く途中の道ばたで1万円札を拾った。
「もし、その時死んでいたなら、こんな『幸運』には遭遇しなかったと思う。その時、思ったのは、神様が『お前はしっかり生きなさい』と拾わせて頂いた」と今もその運命を感じている。
その思いから、若年から事業を起ち上げ、次から次へとチャレンジし、実業家として成功を納めた。
「事業を進める上で、いつもわが子のように見守ってくれた在日同胞1世の大先輩をはじめ、日本の多くの方々が支えてくれたからこそ、成功への道が開けた。晩年を迎えようとしている今、この先輩たちの『未来を担う若い子たちをしっかり応援する』精神を継承していくことこそが、私を育ててくれた人生への恩返しだと思うと、せめて自分の個人財産を社会還元に役立ててほしい」と目を光らせる。
「子どもの頃、状況によっては家族がバラバラになり、最悪、私たち兄弟は養護施設に入ったかも知れない。今思うと、あの1万円札が私の運命を変えたのかも知れない。だから、不運にも養護施設で暮らすことになった子どもたちには社会人としてしっかり生きてほしい。」
児童養護施設は、保護者のない児童や保護者に監護させることが適当でない児童に対し、安定した生活環境を整えるとともに、生活指導、学習指導、家庭環境の調整等を行いつつ養育を行い、児童の心身の健やかな成長とその自立を支援する機能をもつ。一昔前は孤児院とも言われた。

◆人生への恩返し

現在、全国に約600カ所、2万4500人が入所している。東京都に登録しているのは近隣の都外も含めて約60カ所ある。入所対象者は、原則として1歳から18歳までだ。
金さんは施設を「卒園」していく子たちに、大学進学や社会に踏み出すための「助成金」を永続的に支給する方法を考えている。現在、親交の深い、議員と専門家と相談しながら、「財団」を創設する方法を模索している。
財団設立には時間を要するため、当面は年内にも事業の本拠地である新宿区内の数カ所の児童養護施設に直接、基金を寄託する予定だ。2009年から民団中央本部の生活相談センター所長を務めている。2016年に韓国の国民勲章「冬柏章」を受章。

会長・金嶋昭夫が児童養護施設支援のため財団創設へ